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昭和20年、秋。
敗戦による混乱のさなか、日本と世界の将来について確かな指標を得たいと悩んでいた渡辺院長は、思い余って、以前から尊敬し指導者と仰ぐ人物を訪ねました。
その語らいの中、『医学の天才』として登場したのが西医学の生みの親、西勝造先生だったのです。
朝食をとらない一日二食主義。西洋医学のカロリー説を否定した生野菜食。西先生の主張は、渡辺院長の心をとらえ、西医学研究の志が芽生えたのです。
そして翌年、西先生の講演を聞く機会に恵まれた渡辺院長は、西医学への理解を深めるとともに、西洋医学の限界を深く知ることになりました。となれば、後は実証あるのみ。二つの実験を試みます。
まず一つは、完全生野菜食の実践。一日1125グラムの生野菜だけで、45日間過ごそうというのです。苫小牧市立病院の内科医長として、毎日激務こなしながらの挑戦でした。
温冷浴と大気浴療法も実践しました。そして、45日後・・・。
さすがに、かなりやせたものの仕事は一日も休まず、これまで経験したことのないほどの心身の軽やかさ、爽快感さを味わったといいます。
さらにもう一つ。今度は、生まれたばかりの我が子を、なんと、1時間45分もの間、そのまま平床に放置しておくという実験です。
裸を外気にさらすことで、皮膚呼吸と肝臓の機能を活発にし、同時に、赤ちゃんにあらわれやすい新生児黄疸を防ぐ目的もありました。
当然、家族や産婆さんは猛反対。が、実験は大成功し、その後、三人の我が子をこの方法で取り上げたのです。
この二つの実験で、渡辺院長の西医学に対する信頼は確固たるものになりました。
しかし、こうした考えは、西洋医学とはあまりにも違います。他の医師に理解してもらうことも難しく、公立病院内での実践は困難でした。
「西医学を病気で悩む多くの人に伝えたい」
やむにやまれぬ気持ちで、病院を退職。昭和29年秋、周囲の反対を押し切り山形県の農村に開業し、何の気兼ねなく、西式健康法の普及に全力を挙げることとなりました。
そして、必死の努力の甲斐あってか、薬や注射をやめて西式健康法を実践した人たちは、長年苦しんできた胃腸病、神経痛、高血圧などがどんどん治ってゆきました。
「あらゆる病気を克服し健康を確立できるのは西医学である」
その確信は、年をおうごとに強まるばかり。以来40数年、渡辺院長は西医学一筋に、多くの難病と闘ってきたのです。
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