渡辺医院
トップページ
目指すもの
西医学の世界
難病に挑む
元気になりました
院長紹介
施設案内
トピックス
トピックス

 渡辺医院より毎月一回発行されている『健康新聞』から、記事の一部を紹介します。(2004.10.28更新)



『健康新聞』第462号より

<体験記>渡辺医院における自然療法
滝沢克己協会幹事
河波早苗(84才)


精神と肉体の転機

 東京都東中野に、「西式」という「自然療法」の医院がある。
 木造二階建てで、入院患者は二十名足らず。入れ代わり立ち代り2,3日から10日ほど入院し、長い人では20日以上入っている人もいる。10日もいれば五人部屋の最古参になれる。
 社命として、「一同天命を拝して使命を尽くせば、社業は永遠に健全たるべし」を掲げる私は、再度天命を静かに拝すべく、12日間ここにお世話になってきた。お陰で生活習慣が変わり、いい意味の転機になったと思う。

 「おい、お〜い」と院長が呼ぶと、看護婦さんが2,3人部屋に飛び込んでくる。その様子がおかしくて気に入った。呼び声も何だか懐かしい。「お〜い」と聞こえると患者もにわかに緊張して、ピリッと引き締まった空気になる。
 スケジュールは皆30分単位で運び、ボヤッとしているとすぐに治療から外されてしまう。すべて自己責任である。治療をやめて帰るのも自由。しかし健康回復が目に見えるので楽しくて、帰る者はいない。
 こういう病院が、なぜか保険証の利かない病院のままに放置されているのは合点が行かない。政治の貧困というべきか、はたまたこれを認めると、今の病院や薬局が不要になってしまうからではないのかと、あらぬことまで考えてしまう。
 朝は5時起床、9時就寝。10時消灯。これもよい。
 盗人酒なんてできる雰囲気ではない。患者は律儀な堅物ばかりである。
 窓を開け裸になって、自主体操から毎日が始まる。それも大半は寝たままでする。愉快な姿の体操が30分続く。
 朝食は抜きである。有害なのだと云う。日本人が朝食をとり始めたのは、何でも戦国末期ごろかららしい。このよさはすぐ分ってきた。2日目からもう胃が軽くなり、全身に爽快感が湧いてきたのである。
 さて、始業だ。
 患者は寝たままで、全身の振動や首の牽引を受ける。これで首や肩の凝りが取れて、大分楽になった。
 辛子と味噌による胸と腹の湿布、次は浣腸、そして診断。
 昼食は新鮮野菜のどろ汁と柔らかいご飯が一杯ずつ、豆腐の味噌汁がつく。とても美味とはいえぬが、腹がすいているから食べられる。美味こそは病気のもとであると観念し、ここが忍耐のしどころと我慢した。
 夕食は昼よりはややまし。機械体操、検診、湿布と繰り返す。酒も煙草もなしの上、コーヒーやケーキもなし。たまの林檎ジュースが待ち遠しかった。
 かくて一日の食材は約250円。入浴ここ独自の冷温浴法である。温度差が20℃ある冷浴と温浴を、1分交代で7回繰り返す。冷浴から始めて冷浴に終わる。皮膚の鍛錬になる。皮膚は健康の四大原則の一つだという。
 寝るときが大変である。何しろ板の上に木枕をして、真っ直ぐに仰臥するのである。辛い人もいたが、私にはこれは素晴らしく思われ、すぐできるようになった。
 断食も5日間した。

 思うに私たちは、日ごろ余りの贅沢に自らを追い込んでいる。甘えてひ弱になっている。文化が人間を堕落させている。その代表は電気であろう。人間を昼も夜もない生き物にしている。電気がなければ原爆もできなかったろう。驚いたことに「君は難聴だね、治るよ」と言われたことだ。暮らしを変えただけで耳までよくなるとは。
 事実、棚の本には「白髪も黒くなります」と書いてあった、同室のYさんは難聴治療のため19日間断食して「よくなった」と言って帰ったばかりである。そのほか現代病はもちろん、アトピーとか癌とか、沢山な人の治ったという話を聞かされた。
 今時、こんな「薬なし、手術なし」の病院があるなんて思いもしなかった。
 一万年前を思えば、自然任せの食生活で、医療もなく生き延びてきたのが人間である。今のように先へ先へとなぜ急ぐことがあろう。
 一旦思い切って生活パターンを弥生式・縄文式に引き戻したらいいと思う。精神病も肉体病もさらっと治るのではないか。現代医療はそこから出直したらどうであろうか。

 西式を試して以来、人間が変わったような気がしている。転機というのは、不思議な予感とともにやってくるらしい。何か来るが、それが何か分からない。上から来るのか下から来るのか、分からない、内側からか外側からか、それも分からない。よいことか悪いことかすら、自分では分からない。
 それでも何かがやってくる。きっと神から吹いてくる風のようなものが、転機なのだ。人は神を忘れることはできる。しかし神と人の間は「不可分」であり、神から分かれることはできない。
 常に神から届いている紐があり、それを「神の子」と呼ぶのだか、その関係をもつれさせたり歪めたりするとき、いろいろな転機が訪れる。断食で肉体の欲から自由になったとき、それだけ心が神の近くにいることは確かだ。
 人間は一瞬一瞬に各自の転機を孕んでいると思う。
 これが私の人生のいい転機になってくれたらと願っている。


▲TOP